皆さん、こんにちは。
突然ですが、皆さんは日頃から健康に気づかいカラダに良いことはされていますか?
スポーツであったり、軽い運動であったり、ストレッチ体操であったり…
外出を控える方も多くいらっしゃると思いますが、可能な範囲で外に出てみませんか?
もちろん、人が大勢集まる場所はこの時期なるべく避けた方が良いのかもしれませんが、少しだけ自然と触れ合う機会を見つけてみてはいかがでしょうか。
自然と触れ合うといっても、海や山に出かけるということではなく、
普通のお散歩で良いと思います。
老若男女問わず、軽い運動は体にも良いとされていますので、この時期、家に引きこもりがちになっている方も春を感じる上で少しだけ外に足を運んでみたらいかがでしょうか。気分も少しは晴れるはずです。
もちろん、マスク着用で、帰宅後はうがいと手洗いは必須ですが。
今回は『火の国の女』有村智恵選手についてご紹介したいと思います。
有村智恵選手のプロフィール
有村智恵
1987年11月22日生まれ
身長 159㎝
体重 57㎏
熊本県熊本市出身
東北高等学校 卒業
日本ヒューレット・パッカード所属
2006年 プロテスト合格
成績
優勝回数 14回(国内メジャー1勝)
初優勝 プロミスレディストーナメント 2008年
世界ランク最高位 13位(2011年10月)
賞金ランク最高位 日本女子 3位(2009、2011、2012年)
経歴
小学校時代に、水泳競技で九州大会出場。
10歳よりゴルフを始めて、「坂田ジュニアゴルフ塾」にも一時期在籍していたが、父の指導の下、ゴルフ力を磨いていく。
中学2年生で日本ジュニア選手権女子12~14歳の部、中学3年生で全国中学校ゴルフ選手権優勝。
2年先輩にあたる宮里藍が在校する東北高等学校に進学したのち、東北女子アマチュアゴルフ選手権、東北ジュニアゴルフ選手権を制覇する。
2006年、高校を卒業後、地元熊本県を拠点にプロツアーに参戦。同年7月、プロテストにおいて2位に7打差をつけトップ合格を果たす。
2007年はトップ10入り10回と着実に結果を残して、賞金ランキングで14位に入り、初のシード権を獲得する。
翌2008年にプロミスレディストーナメントで初優勝を飾り、2009年にはツアー5勝を挙げて賞金ランキング3位と大躍進。
以降、着実に勝利を重ねて、2012年ついに
『日本女子プロゴルフ選手権大会 コニカミノルタ杯』で国内メジャー初制覇を遂げる。
乗りに乗っている有村智恵選手のゴルフプレーと可愛らしいビジュアルにファンも殺到し、誰もが順風満帆に見えたはずだが…
USLPGAで勝つことの難しさ
2013年より、USLPGAツアーに挑戦。戦いの場を米国に移した有村智恵選手の初年度の成績は、20試合に出場し、初年度は賞金ランキング61位と何とかシード権は獲得しましたが、納得の行くゴルフ内容ではなかったと思います。
しかし、翌年から日本ツアーに復帰するまでの間、一度もシード権を獲得することなく下部ツアーを転戦する毎日が続きました。
どうなのでしょうか…、やはり環境の違いが一番なのでしょうが、上田桃子選手も然り、日本ツアーでは誰よりも勢いがあって、いわゆる「脂の乗った時期」に米国挑戦を掲げても、ことごとく打ちひしがれてしまうのはなぜなのでしょう?
以前、古閑美保さんが何かの番組で「米国帰りの選手は変に難しい技術を使おうとする。こんなところは転がしでいいのに、カットを入れて打ったりしている。ゴルフを難しくしている」というコメントをしていました。
子供のころから日本で身に着けてきた技術は通用しないのか、やはりあちらでは求められるものが違うのか。
当然、距離と方向性をシビアに求めてくるコースセッティングや芝質の違い、気候の違い、移動距離の長い生活、食事の違い、言葉の違いなど原因を探れば山ほどありそうです。
しかしながら、宮里藍選手はその中でも結果を残し続けて戦ってきました。
改めて、すごいことを成し遂げたのだなと思います。
ただ、流石の宮里藍選手も引退時には、
肉体的にも精神的にも精魂尽き果てたように見受けられましたが…。
有村・上田両選手とも負けん気が強く、生きの良さでは天下一品だと思うのですが、逆にそういった性格だけに勝てない時期には相当深く落ち込むのでしょう。
技術があっても通用しない、体力に自信があっても異国の地で連戦が続けば疲労が蓄積される、気分転換もままならない、結果を出せなければ精神的にも落ち込んでしまう。負の連鎖ということか。
まとめ
米国で歯がゆいツアー生活を続けてきた有村智恵選手が、日本女子ツアーに復帰することを決めた大きな理由は、2016年4月の『熊本大震災』です。
志半ばで米国女子ツアーでの挑戦を断ち切ることを決断。地元熊本県の被災者の方々のために自分の戦う姿を届け、少しでも勇気づけたいという思いから日本ツアー復帰を決めました。
帰国当初、日本女子ツアーでは出場資格さえありませんでしたが、2018年サマンサタバサレディストーナメントで復活優勝を飾り、ショットメーカーの健在ぶりをアピールしました。
故郷熊本のためにも今後の活躍を期待しております。