皆さん、こんにちは。
いよいよ日本国内全般に刻々とコロナウイルスが蔓延し始めてきましたね。
マスクはもちろんのこと、普段は手にしないような消毒液も店頭から姿を消しています。
昨今、人気動画チャンネルには、「自作マスクを作り方」や「ウイルス対策」など日々数多く目にしますが、ここにきて自分の身は自分で守ることがとても重要であることを認識させられます。
今シーズンは、全国的に過去にも類を見ない暖冬で、
積雪地域でさえ年明け早々からゴルフ場がオープンしていました。
例年では考えられません。
だからといって年明けから現在に至るまでゴルフ場が活況を呈しているとはお世辞には言えない状況です。
それほど深刻な状況が続いているということですね。
ゴルフ好きにとっては、まんじりとしない日々がしばらく続きそうです。
ただ、こんな時だからこそ、あこがれの選手や気になるプロゴルファーのエピソードを覗いてみませんか?
今まで分からなかったことや気付かなかったことなど何かしら発見があるはずです。
さて、今回はゴルフ界のレジェンドに焦点を当てたいと思います。
誰もが知っている
尾崎将司、通称ジャンボ尾崎選手を少し振り返ってみたいと思います。
尾崎将司のプロフィール
尾崎将司
1947年1月24日生まれ
身長181㎝
体重90㎏
徳島県海部郡穴喰町(現・海陽町)
1970年プロテスト合格
I.S.T所属
成績
優勝回数 113回(世界プロツアー最多記録)
賞金王 12回
世界ランク最高位 5位(1997年)
マスターズ 8位タイ(1973)
全米オープン 6位タイ(1989)
全英オープン 10位タイ(1979)
プロゴルファー転向までの経緯
1964年、徳島県立海南高等学校で春の選抜に投手として初出場し、初出場・初優勝を飾る。
初出場・初優勝というのが凄いですね。やはり持っているものが当時から違ったようです。
翌年、九州が本拠地である西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)へ投手として入団。
期待の新人は1年目から1軍の試合に出場しましたが、その後、思うような成績が残せず、3年目からは野手に転向。しかし、ここでも結果を残せずにプロ野球生活を断念、退団を決意。
当時、打撃コーチをしていた人物にゴルフ界への転向の勧めもあり、「第2の人生」として九州地区でプロゴルファーを目指していました。
だが、退団時、球団社長直々の留意にも耳を貸さず半ば強引に退団していく選手に対し、球団側としても容赦がなかったようで、「西鉄の営業圏内である九州での活動はまかりならん」と、半ば追われるようにして千葉県のゴルフ場に移籍。
持ち前のアスリートセンスと努力の甲斐があって1970年にプロテストを合格。
その後、スランプなどにも打ち勝って数々の伝説を残した尾崎将司選手ですが、
プロゴルファーを生業にするまでには様々な紆余曲折があったようですね。
プロ野球生活を断念した本当の訳はもちろん知る由もありませんが、退団を決意した一番の原因は同期入団した『池永正明』という選手の存在だと言われています。
「野球人としてこいつには到底かなわない」との思いと「土俵は違えどもどうしてもこいつには勝ちたい」という思いが強かったようです。何か当時の尾崎将司選手の熱い執念を感じます。
しかし、尾崎選手がプロテストを合格した同年、池永氏は八百長疑惑いわゆる「黒い霧事件」に巻き込まれ野球界から永久追放処分されたのはなんとも皮肉な話です。
尾崎将司のジレンマ
尾崎将司選手の数々の名勝負、名場面については、50代以上のゴルファーなら誰しもが少なからず記憶にあると思います。
113回の優勝記録は、まさに日本ゴルフ界のレジェンド。
多くの武勇伝を歴史に刻んできた尾崎将司選手も現在は73歳。
腰痛からくる体調不良、寄る年波、私生活のスキャンダルなど、どうにも解決できない問題を抱え、年々衰えが見えてきています。
ネット上では、かなり辛辣なコメントを目にするようになりました。
「一刻も早い引退を願う」、「若い選手に席を譲るべき」、「年老いたジャンボを見るのはつらい」など…
プロゴルフ界で一時代を築き、ジャンボに敵なし!というあの華やかで他を寄せ付けない強さを誇った彼の雄姿を知る世代にとっては、とても寂しい気持ちになります。
尾崎将司選手本人も、スイングイメージは出来上がっていても、体力や視力の衰えとカンの鈍りからくる違和感がどうしても拭えない。
“体・技・心”という順番で勝負に備える彼が、要である“体”の部分がままならない。
しかし、その“負”の部分を認めてしまってはお終い、と毎日がジレンマとの戦いのはずでしょう。
シニアツアーは眼中になし
ここまで、尾崎将司選手は1度たりともシニアツアーにも参戦することなく現在に至っています。
以前、私のブログで取り上げた谷口徹選手は昨年、尾崎将司選手の持っていた国内ツアーメジャー最年長記録を塗り替えて日本ゴルフ選手権で優勝しましたが、同年、シニアツアーデビューも果たしています。
プロゴルファーのシニアツアー参戦の権利は、年齢が50歳に達してからですが、
尾崎将司選手はなんと50歳以降、レギュラーツアー競技で12勝を挙げています。
思えば、あまりにも輝かしい実績と自信がシニアツアーを彼から遠ざけたのかも知れませんね。
尾崎将司選手からしてみれば、シニアツアーのコースセッティングは子供だましに映り、物足りなく、その熱いゴルフ魂に火をつけることはなかったのではないでしょうか。
『レジェンド』ジャンボ尾崎よ、この先どこへ行く
さて、そんな尾崎将司選手ですが、体調不良でツアー競技参戦もままならない現在はどうしているのでしょうか。
尾崎将司選手を筆頭に、『ジャンボ軍団』総勢でジュニアレッスン会の開催や、若手の指導にあたっているとのことです。
その他にも、ツアーの若手選手にリアルな技術指導を施したり、こちらも以前ブログで特集した『原 英梨花選手』を育てたりと、しっかりそのゴルフDNAを植え付けているようです。
ただ、私としてはなんとも物足りなく、もったいなく思えてしますのです。
もっと、全国規模でもっともっとそのDNAを植え付けていただきたい。
身近な手の届く範囲だけでそのゴルフDNAを眠らせては行けないと強く思います。
ただし、尾崎将司選手本には、引退間近のロートルが教えているのではなく、多少の年は食ってはいるが、現役の選手としてのティーチングなのだと、体力で負けてもゴルフクオリティは衰えてはいないという自負が当然あるはずでしょう。
「恩返しのつもりでゴルフ指導に当たっているわけではない。アドバイスを求めてくる者に対して、一選手として真摯に伝えるべきことを伝えているのだ。」という声が聞こえてきそうです。
しかしながら、最近、尾崎の将司選手のコメントを聞いていると、明日こそ知れないわがゴルフ人生というような発言が感じられます。実際、ツアー競技での獲得賞金はゼロに等しいです。本人も幕の引き方に悩んでいるようにも思います。
今後、ジャンボ尾崎はどうして行くのか…
まとめ
今回は、誰しもが知る尾崎将司選手にスポット当ててみました。
いつもより、私の感情も入ってしまったように思います。
是非、日本プロゴルフ協会をはじめとする各関係団体にこの日本のゴルフ業界を引っ張ってきた『レジェンド』に、もう一度、脚光を浴びるステージを作っていただきたい。
多少、忘却武人な行いが過去にあったにせよ、『ジャンボ尾崎』という功労者にはその恩恵に報いるべきではないのかと強く願っています。
それではより良いゴルフライフを(^^)/